*** 野鳥観察の部屋 ***

 蓮田市と周辺地域の
春のムナグロ、シギ、チドリ類観察記録
(2005年の観察結果と2000年~2005年の総まとめ)
蓮田市 本多 己秀(じゅん)作者紹介

緒  言

1) はじめに

 2000年にムナグロ・シギ・チドリの観察を始めて、丸5年(足かけ6年) がたちました。当初「10年間続ければ、きっと何かがわかる」と大それた考えを起して、遮二無二続けてまいりましたが、本年を以て、この観察記録を終わりにします。当初の予定の半分で打ち切った理由は二つあります。一つ目は、私の健康状態がよくなく、限度にきていること。二つ目は、観察に必要不可欠である軽自動車を本年を以て廃車とするためです。したがって今回のレポートが最終回となります。このレポートでは、2005年の観察結果と、この6年間(正確には丸5 年)の総まとめをいたします。


2) ムナグロについて

 ムナグロは成鳥夏羽の胸が真っ黒なので、 ムナグロが和名で、英名はPacific Golden Plover、学名はPluvialis fulvaです。24 cm位のチドリの仲間で、成鳥夏羽では、黒とメタリックな薄茶が美しい鳥です。
 この鳥はいわゆる旅鳥で、オーストラリア、ニュージランド、ニューギニア、インドネシア、マレーシア等で冬を過ごし、春になると北上し、途中日本にも立寄って、シベリア、アラスカ方面で夏を過ごし、そこで繁殖します(オーロラの下にいるムナグロの写真をみた事があります)。
 秋にはその反対に南下し、 日本にも立寄って、オーストラリア等に渡って行くわけです。

3) 蓮田市とムナグロ
 ムナグロは日本には春と秋の2回やってきますが、蓮田市では、圧倒的に春やってくるムナグロが多く、秋はごく少数のようです。これは春と秋では、渡りのコースが少し違うためだと考えられます。
 蓮田市の笹山・黒浜・江ケ崎地区に、毎年春のゴールデンウィークとその前後に、かなりたくさんのムナグロがやって来ることは、以前から、鳥に関心のある人にはよく知られていました。しかし、渡りの全体像(総羽数、渡りの期間、広域に及ぶ観察等)については余り分かっていなかったようです


4) 私とムナグロ・シギ・チドリ類との出会い

 私は2000年まで、ムナグロという鳥を見たことがありませんでした。 当時、蓮田市に25年以上住んでいたにもかかわらず、ゴールデンウィークやその前後に、田を見に行くことをしていなかったからです。多分、仕事に追われて、田や鳥に関心が薄かったせいだと思います。ところが、2000年の春に人に教えられて、笹山の田を見に行きました。100羽を越えるムナグロの大群が上空に二 つ、地上に二つか三ついたと思います。集団で旋回して飛んでいる時の羽音や、鋭くとがった翼の先端、そしてキョピキョピというよりも、ピョーピョーという感じの大変やわらかい声に息を飲む思いでした。互いに鳴き交わしながら田から田へ移動したりしていました。
 また、それと同時期に、笹山・黒浜・江ケ崎・蓮田の各地域で、オグロシギ、チユウシヤクシギ、クサシギ、ウズラシギ、キョウジョシギ、キアシシギ、タシギ、コチドリを見る事が出来ました。それらはムナグロと比べると圧倒的に少数で、いわゆる「まじり」でしたが、自分でこれらのシギ・チドリを見つけた喜びに舞い上がってしまいました。それ以来、毎年、春が来ると、あちこちの田を見て歩く(軽自動車で)ようになりました。

5) 観察の目的

ムナグロやシギ・チドリを見つける喜び。(辛い時もかなりありましたが)
出来るだけ広範囲のムナグロを観察し、数を記録すること。
蓮田市と周辺(現さいたま市)に、ムナグロが最初にやってくる日、最後に去る日をみきわめること、つまり渡りの最初と最後を確認すること。
1シーズンに、いったい何羽ぐらいやって来るのか、知りたかったこと。(およその渡りの規模)
ムナグロは1年間に、ほぼ地球を一周する渡り鳥ですが、その地球的スケールの中に蓮田市が入っているわけです。それで、ムナグロを観察することは、地球というマクロな面と、蓮田という地域の面の両方で、その環境を考えることにつながること。
年度別、地域別の変動を調べること。

6) 観察の方法

人間と違い、鳥には行政区画や土地の所有権は関係ありません。それで行政区画や面積にとらわれず、蓮田地区、馬込地区、笹山・黒浜・江ケ崎地区、川島・平林寺・掛地区、丸ケ崎・深作地区の5 地区に分け、地区別にカウントしました。(年度別データも添付 表-3、グラフ-6)このうち①~④の川島地区までは蓮田市で、②の馬込地区の東半分と、④の平林寺・掛地区、⑤の丸ケ崎・深作地区は、さいたま市になります。また2005年に新たに渡来を観察した⑥の宮ケ谷塔地区も、さいたま市です。
広範囲にわたる観察を短時間ですませ、なおかつ狭い農道にも入れるように、軽自動車を使用しました。 速度はおおむね20~40 km/hです。
観察時間帯は、農家の農作業が始る前に終了するように、朝5 時半頃~ 8 時前に行いました。この時間帯は田の交通量も少なく、鳥も落ちついているので観察者(私)にも都合が良いものでした。(この5 年間で、農家に迷惑をかけるようなことは1 回もなかったと思います)
観察コースの順序も一定にしました。具体的には① 、② 、③ 、④ 、⑤ の順序で観察し2005年には① 、② 、③ 、④ 、⑥(宮ケ谷塔)、の順序になりました。
車から1 羽でもムナグロを見付けると車を止め、主に双眼鏡、必要に応じてフィールドスコープを併用してカウントしました。

7) 観察の正確さ

2000年はムナグロも他のシギ・チドリも、数をカウントしていません。(でもこの6年間で、一番多かったように思います)
2001年と2002年は数をカウントしていますが、掛地区と丸ケ崎地区は少なめになっています。これは後で述べますように、農作業専用の細道に立ち入ることをせず、フィールドスコープで遠くから見ていたためです。
2003~2005 年については、かなり正確にカウントしています。掛地区と丸ケ崎地区で、思い切って農作業専用の細道に入り、双眼鏡で十分観察しました。(農作業の邪魔は一切しないように注意しました)
2005年は、観察日が37日間で、4 日分のデータが欠落しています。ですから合計の3505羽はもっと多い数字になる筈です。また宮ケ谷塔地区の342 羽の初観察(それまで宮ケ谷塔地区はカウントしていませんでした)も合計に加えています。
田に水の入る前にも、ムナグロはやって来ています。乾いた田の色と、ムナグロの縞模樣は大変よく似ていて、見落しが考えられます。また、ムナグロの同一個体が何日にも渡って居続けることも考えられ、その場合はダブルカウントになります。しかし、田に水が入った後は、写真で分かるように、ムナグロは遠くからでも「丸見え」 となり、観察数はより実数に近くなると考えています。
田に入水した後で、朝見たムナグロを午後にもう一度見に行くと、0羽になっていることが何回かありました。渡りの最盛期にはムナグロも先を急いで、蓮田市と周辺に余り長く居ないのだと思っています。 その逆に、朝いなかった場所に、午前10時頃ムナグロがいたこともあります。そんなこんなで、ムナグロは夜から午前中に移動する(やってくる)ものが多いと考えています。(2000年以外には昼間の大移動は見ていません)
渡りの初めと終わりは、それぞれ1、2 日づつ余分に観察して、0羽であることを確認しています。データ記録 表-1、表-2、グラフ-1~5は、4月11日~5月21日の41日間の観察になっていますが、実際はその前とその後に、1、2 日プラスして観察しています。
観察コース(①~⑤、新たに⑥の地域を見てまわる順序と通る道)は、ほぼ一定に保って行いましたが、ごくたまに農耕車両や農家の作業とかち合うことがあり、その時は最大限に農家を優先し、細部の小道を変更したこともあります。しかし、これによる観察への影響は、ほとんどないと考えています。

結果と考察


1) 2005 年度の報告と考察
 【表-1】、【表-2】に、4月11 日から5月21 日までのムナグロの観察(カウント)結果を、地域別と日付別、および総合計が分かるようにまとめました。事情により4日分のデータが欠落していますが、観察した総合計は、3505羽になりました。 ほぼ平年並みか、少し多めでしょう。
表-3は、2000~2005 年までの観察結果の総数と、「まじり」のシギ・チドリをまとめたものですが、これを見ると分かるように、2005 年に来た「まじり」は、イソシギ、キアシシギ、キョウジョシギ、クサシギ、コチドリ、タシギ、チュウシャクシギ、 トウネンでした。
 コチドリは何回も見ましたが、チュウシャクシギは2回しか見ませんでした(例年、10回以上、10羽以上を見てきました)。キアシシギは合計8羽、キョウジョシギは2羽のみ、クサシギは1羽、イソシギは4羽、タシギは6羽、トウネンは1羽のみでした。このうちトウネンの「まじり」は今年だけです。また「まじり」ではありませんが、アマサギやコアジサシも観察されました。他のサギ類(ゴイサギ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギ、コサギ)は例年どおり かなり見かけました。 キジもあちこちで姿を見かけました。
 2005年度のデータで注目されるのは、蓮田地区と馬込地区での、ムナグロ観察数の激減です。


【表―1】 蓮田市と周辺地域のムナグロ、シギ、チドリ類観察記録 2005年4月
 4月11~30日 ムナグロ 単位:羽


【表―2】 蓮田市と周辺地域のムナグロ、シギ、チドリ類観察記録 2005年5月

  5月1~21日 ムナグロ 単位:羽
(注)
2005年度から新たに宮ケ谷塔地区(さいたま市)を観察区域に加えました。4月3 0日の宮ケ谷塔地区は、午前中(6 : 3 0頃)は57羽でしたが、午後再び観察した時は189羽でした。今期は、午後になると0羽になることが多かった中で珍しいことでした。なお、午後の観察数は4月度のカウントに入れていません。
5月7日、丸ケ崎・深作地区の87羽の中に、イソシギ2 羽が混ざって採餌しており、そこへコチドリが1羽降りて来て、2羽のイソシギを威嚇し追い払いました。コチドリがこんなに強い鳥とは知りませんでした。
5月10日、川島・平林寺・掛地区の115羽のうち50羽程が大きく旋回し、それを3回繰返し20羽がおりました。また、掛地区のBの田から5 羽、Aの田から6 0羽が飛立ちました(地図-3)。飛立った現場を見るチャンスは、そう多くはありませんでした。
5月14、15 日は、一泊で裏磐梯高原探鳥に行き、観察しませんでした。

【表―3】 蓮田市と周辺地域のムナグロ、シギ、チドリ類観察記録 年度別

 2000~2005年度 ムナグロ 単位:羽
 
(注) 年度別觀察記録は、各年度ともに4月11日から5月21日までの41日問の記録です。観察時間は午前5:30~8:00頃までで、一定の順序に従って各地域を廻りましたが、 多少ばらつきがあります。
【地図1】
 
 【地図2】
【表-3】 年度別(2005年度)
 蓮田地区はわずか82羽、馬込地区にいたっては、たったの4羽でした。これは、蓮田地区で、田の端に出つ張つて農家の分家が家を建て、これを鳥が嫌ったためと考えます。
 例年、蓮田地区で、1~3 羽のチュウシャクシギを10回位見ていましたが、本年度は、たった2回(2 羽)で、その原因も同じと考えています。逆に、蓮田駅から直線にして400 mくらいの所に、今までよくムナグロやチュウシャクシギがやってきていたと思います。今後、ここでは、もうシギ・チドリは余り期待出来ないと思います。
 馬込地区の4羽ですが、これは、2001年の352羽、2004年の374羽と比べると、もう、壊滅状態です。原因は、はっきりしています。休耕田が急激に増加し、草地が増え、草丈も高くなりました。また、田の乾田化と宅地化も進み、決定的なのは、これも農家の分家と推定される家が1軒建ち、その1軒が、土建業をおこなっており、資材や重機が山積されていることです。そこは、2000年と2001年頃は、ムナグロと共に、キョウジョシギやキアシシギ、コチドリを見た場所でした。しかし、まだ馬込地区には、水田と休耕田は残っており、サギ類やカルガモ、モズやカシラダカ、ホオジロなどの鳥は良く見かけます。でもムナグロを初めとするチドリや、タシギ以外のシギ類は、今後見られなくなると思います(タシギは休耕田の増加と共に増えるかもしれません)。
 笹山、黒浜、江ケ崎地区の633羽ですが、これも過去に例を見ない減少です。特に、江ケ崎地区は、私の見た限りでは、田は広いのに、1羽のムナグロも見かけませんでした。例年、渡りの中期以降には、かなり多くのムナグロが、この江ケ崎の田にやってきたものでした。 ここでは、農地が休耕田となったり、家が建ったりはしていないのです。 ではなぜこんなにいなくなったのでしょうか。 原因は、推定しか出来ませんが、ムナグロを始めとするシギ・チドリが、北から、元荒川の南の掛地区や、丸ケ崎地区へと圧迫される形で移っているのだと思います。【地図-1】の④と⑤を見て下さい。今年にいたって、【地図-1】( 6 ) と標記した一番南の国道16号線の大宮東バイパスに面したごく狭い、宮ケ谷塔地区にまでムナグロが進出し、この狭い田で合計34 2羽を観察しました。 ここには昼間やってくるムナグロも多いので、実数は、更に大きくなると考えます。いづれにしても、国道16号線の南はもう市街地と、工業用地です。ムナグロがぎりぎりまで、南に追い込まれていることが分かります。 掛地区の1640羽、丸ケ崎地区804羽は、例年並か少し多い数字です。
 掛地区、丸ケ崎・深作地区、宮ケ谷塔地区などで、ムナグロが良く見られているのは、どうしてでしょうか。宮ケ谷塔地区と同じで、掛地区も、丸ケ崎地区も、その地形に理由があると思います。【地図-3】を見て下さい。地図-1から、掛の田、丸ケ崎の田、宮ケ谷塔の田を抜き出し大きく書き直したものです。掛の田では、北側が元荒川で、ミニ工業団地があり、道路一本をへだてて、AとBの田があります。AとBの間には東西に細い農道が一本あるだけで、あとは1~5のさらに細い農作業専用路があるだけです。つまり、この田は、東西南北ともに、通り抜ける車や人の交通がほとんどないのです。 東側は、2 0年ほど前までは田でしたが、今は本宿の住宅街を始めとして、びっしり市街化され、南北に交通量の多い幹線道路が走っています(この道が城北大橋を通ることになります)。北から田に沿い南下して飛んできたムナグロは、この掛の田まで来ると、その先に下りる田がなくなる事を知るのです。それで掛の田はムナグロの袋小路となっていると考えます。
 丸ケ崎の田についても、北側には東西に車の通る大きな道がありますが、南側は、今は田を総て埋め立てて、アーバンみらいの高層住宅群で埋めつくされています。それによりムナグロは南下できないだけでなく、東西の人や車の流れからも守られているのです(北側の1本以外に東西に通り抜ける道がないためです)。南北には地図-3に示したように、1~12の細い農作業路(耕運機と軽自動車しか通れない)があり、日曜日や休日に散歩する人はいますが、他は、ほとんど交通はありません。このことが、この狭い丸ケ崎の田にムナグロやキアシシギ、キョウジョシギ、コチドリ、ハマシギ、タシギ、イソシギなどが、よくやって来る理由だと考えます。
 【地図-3】で、宮ケ谷塔の田を見てください。ごく小さい田で南側に国道16号線が通り、大変な混雑ですが、宮ケ谷塔の田自体には、地図に示した数字1の道が南北に1本あるだけで、ここも通り抜ける車や人が少ないところなのです。一言でいうと、掛の田、丸ケ崎の田、宮ケ谷塔の田に共通しているのは、人が通りぬけのできない小さな田で、南側と東側は、市街地になって、鳥にとっては、行き止まりの地形だということです。 そして、交通量も、ごく少ない田で、鳥は、人や車から「圧力を受けない安心感」があるのだと思います。それで④、⑤の地区と、⑥として新たに加えた宮ケ谷塔の田が、ムナグロの渡来(一時休息)地になっているのだと考えます。③の笹山、黒浜、江ケ崎地区の田では、年々ムナグロの数が減り本年は合計しても633羽と、この6年間で最小となりました。表-3を見ると、それがよく分かります。 しかも年々減少しつづけています。 なぜでしょうか、答えはよく分かりません。
 しかし、私の考えはあります。それは、掛地区や丸ケ崎地区とは正反対の理由です。つまり、笹山、黒浜、江ケ崎地区の田は、近辺ではとても広い田で、見通しがよく、大きな道が、東西にも南北にも走って、そこを多くの車が走っています。農作業をする人や、通行人は、人が鳥をみる以上に、ムナグロには「丸見え」なのです。しかも毎年、車の通行量は増加しています。このことが、ムナグロに不安を与え、年々、観察数が減少している原因となっているのだと思います。田が休耕田になったり、宅地化されたりはしていません。考えられるのは、上記の、ムナグロが感じる不安-脅威-なのだと思います。安心感が得にくくなって、「人圧」に圧迫されるようになり、掛や丸ケ崎のような、市街地ぎりぎりの狭い田に来るようになった、と推定しています。
2) 2001~2005年のシーズンを通しての観察数とパターン
 【表-3】年度別の総渡来観察数は、2001年が2816羽、2002年が1980羽、2003年が3981羽、2004年が6733羽、2005年が3505羽で、2004年の6733羽が飛びぬけています。それぞれの年の毎日の観察数を、2001年はグラフ-1に2002年はグラフ-2、2003年はグラフ-3、2004年はグラフ-4、2005年はグラフ-5に、同じスケール(目盛)でグラフ化してみました。これだと見やすいと思います。
 これにより、次の樣なことが考えられますが、はっきりした結論とは、必ずしも言い切れません。
渡りの時期は4月l2日~5月20日の間でした。
渡りのピークは、5月10前後に共通してありますが、きちんと共通するパターンにはなりませんでした。
2004年を除くと、4月中よりも、5月上旬のピークの方が、羽数が多くなりました。
この5年間では、2004年が6733羽と数が最も多く、2002年が1980羽と最も少なくなりました。しかしこれは、必ずしも渡りの実数をとらえているとは言い切れません。未観察の鳥は間違いなく実在しますし、日数を追ってダブルカウントしている鳥も存在していると思われます。
2004年の6733羽と言う数は、この5年間では極端に大きな数でした。しかも4月24日頃のピークが497羽となって、5 月よりも高いピークになりました。これは、次のように考えると、何となく納得できそうです。2004年は、日本も、地球も、異常な年だったのです。5月21日に台風2号が日本に接近し、6月21日に台風6号が本土上陸をしました。6月の台風上陸は異常な事です。それ以来、どの台風も日本に上陸し、10月19日の台風23号まで、そのことは続きました。また夏は異常な猛暑となりました。9月1日には、浅間山が噴火し、12月27日には、スマトラ島沖の大地震と、それに伴う大津波がありました。日本でも、10月23日には新潟中越地震が大きな被害をもたらしたことは、記憶に新しいことです。このように、2004年は、地球も日本も、天変地異がつづいた年でした。ですから人より敏感なムナグロが、それを察知して、それなりに渡りのコースを変えた、と考えることが出来ます。それで、この5年間のデータだけから考えると、2001年、2002年、2003年、2005年の渡りのパターンが普通で、2004年は、異常な(数と)パターンだと思われます。
当地における渡来の総数は、おおむね2000~3000羽以上と考えられます。ただし2004年は7000羽近くになりました。何れにせよ、万単位ではありません。
1日に私が観察した数で、過去に最も多かったのは、2004年4月24日の497羽で、次が4月29日の437羽、3番目が2003年5月13日の413羽でした。このことから、1日に渡来するムナグロは、恐らく1000羽まではいないように推量されます。
「まじり」のシギ・チドリの種類は、5年間で19種になりました。表-3備考欄参照。
3) ムナグロやシギ・チドリが、 なぜ蓮田市と周辺に来るのか
 春、ムナグロは、 日本各地で休憩・採餌しながら北上して行きます。 シベリア方面に行く前に、 日本で体力を回復させるのでしょう。 そのコースの上に蓮田市と周辺地域があります。
 それでは、白岡町や菖蒲町などの、もっと広い田ではなぜ観察されないのでしょうか。答の一つは、観察者がいないので、報告されていないと言うことです。またもう一つは、田植の時期が、蓮田市と周辺のみが(秋ケ瀬の大久保農耕地等々を除くと)田に水が入り、田植が行われる時期が、丁度、ムナグロの渡りの時期と一致するためです。田が耕されれば、虫を見付けやすくなりますし、田に水が入れば、それなりの虫も発生し、餌となります。 また、水が入ることは、ムナグロが、他の動物から襲われにくくなる事も意味します。 安全性がますわけです。
 埼玉県内にも、 田植の時期が、蓮田市と周辺地域に近い田があれば、 そこにもきている可能性があると思います。ただし、私の知っている限りでは、蓮田市と周辺以外の田のかなり多くが、田植が5月中旬~6月上旬となります。そうした田には恐らく、ムナグロは降りてこないと思います(ただし観察者がいないだけで、もっと良く探せばいるのかもしれません)。
      
4) なぜ、笹山・黒浜・江ケ崎方面から、掛や丸ケ崎の方に南下してくるのか。 そしてなぜ笹山が減少し、掛・丸ケ崎が増加しているのか。
 基本的には、ムナグロは、春は北上するわけです。しかし、私は北上する大きな群を見たことがなく、南下してゆく群ならみました。また、掛や丸ケ崎では、観察されるムナグロの数が、年を追ってふえていくように思われます。【グラフ-6】を見て下さい。
 2005 年には①蓮田、②馬込地区はもう駄目で、④の掛地区と⑤の丸ケ崎地区が、③の笹山地区を抜きさっています。【地図-1】と【地図-2】をみて下さい。③~④、③~⑥の向きはほぼ南に向いています。これは、北上する筈のムナグロの動きと矛盾するように思われます。
 私個人の勝手な解釈では、まず第1番目は、それは、ムナグロという渡り鳥の、いわゆる「モーニング飛翔」のせいだと思います。つまり、日本全体でみると、北上して行くのですが、明け方の1時間位は、渡りの方向と関係なく、採餌と安全な休息に適した場所を探してあるく(飛ぶ)のです。
 想像でしかありませんが、夜間久喜・白岡方面に北上してきたムナグロが、Uターンして、明け方、田にそって蓮田市と周辺へ南下してくるのだと思います。そして、かつては、笹山・黒浜・江ケ崎地区に降りていたムナグロが、前に述べた理由で、掛や丸ケ崎方面に多く来るようになったのではないかと考えています。
 【地図-1】【地図-2】をみていると、そんな気がします。もともと、笹山・黒浜・江ケ崎、掛・丸ケ崎は一つの地域であって、つながっており、たまたま元荒川で分断されているだけなのだ、と考えると、妙に納得してしまうのです。
 第2 番目は、「もともと、掛地区や丸ケ崎地区にもきていたのですが、偶々観察者が居なかっただけなのだ」とも考えられることです。大昔は「アーバンみらい」などもちろんなく、もっと南のさいたま市の内部にも、ムナグロやシギ・チドリは来ていたのではないかと考えられます。それが市街地化、都市化によって、あちこちで分断され、結果としてムナグロを見られるのが、蓮田市と周辺になってしまったのだと想像されます。しかし、この考えだけだと、何故、笹山・黒浜・江ケ崎地区方面のムナグロが毎年減って、今期は、633羽までになったのか説明がつきません。
      


5) 群の規模について
前に述べましたように、2000年にみたムナグロの群は100羽を越える大きなもので、それが、四つ、五つありました。しかし、気のせいか、毎年、群の規模は小さくなってきているように感じます。2005年で言うと、10~20羽、40~60羽位の群が大多数でした。これは、ムナグロの繁殖地や越冬地に、何らかの変化があって、渡りの単位が小さくなっているのではないでしょうか。ハクチョウのように、家族単位もしくは血縁単位なのかもしれません(単に想像です)。
      
6) 将来への危惧
 【グラフ-6】から、何が読みとれるでしょうか。おおむね今まで述べてきたことが、みてとれます。2004年の異常と、2005年の急落、そして、それに伴って④、⑤の占める位置が高まり、その逆に、③の占める比率が、この5年間で急減しています。
 ここで、蓮田市と周辺の人間活動や行政面について、少し考えてみました。まず、壊滅に近い②の馬込地区は、かつて(30年以上前)は、「どろ山」とか「天神山」とか呼ばれる「草ボウボウの里山」でした。そして、その回りに低湿地があり、そのつづきに田があったのでした。 低湿地には亀がいたり、トウキョウサンショウウオや、埼玉県の蝶であるミドリシジミが乱舞したりしていました。これは、ミドリシジミの食草であるハンノ木があったからです。植物では、キンラン、シュンランがごく普通に生育していました。これらは、今では絶滅危惧種の代表になっています。
 鳥では、メジロ、ウグイス、カケス等はもちろん、何とオオルリやサンコウチョウまでいたそうです(サンコウチョウは日本でも数少ない鳥になっています)。当然、湿地や田にはムナグロや他のシギ・チドリがいた筈なのです。それが、この25年間に「都市計画」という「開発」によって、全くといっていい程、様変わりしてしまったのです。
 具体的には、里山を削って湿地や田を埋め立て、全てを平坦な地形とし、道路をはりめぐらせて、全て宅地化したのです。それにより、貴重な自然は、虫も、鳥も、動物も、そして、カエルやヘビまでほとんどいなくなってしまいました。当然植物もほぼ全滅です。かろうじて、キンラン1株が、屋敷林に自生しているのをみつけ、目下保護しています。これがキンランの最後の1株かも知れません。
 このように②の馬込地区は、自然破壊が行政的に行われたのです。そして、残ったわずかな田にムナグロやシギ・チドリが来ていたのですが、これも、乾田化、休耕田の増加、宅地や事業用地への変化により、今年度のように、ムナグロがわずか4羽というありさまになってしまいました。
 蓮田地区は、都市計画はありませんでしたが、前にも述べた一軒の農家の進出により、ムナグロは82羽にへり、チュウシャクシギも2回(1 羽づつ)しかみかけなくなりました。
 こうした、地域社会の市街化・都市化は、ムナグロやシギ・チドリに重大な影響を及ぼします。
 笹山・黒浜・江ケ崎地区は、交通量の増大という「人圧」のために、ムナグロが減少してきていると考えられます。黒浜地区は、これまた「都市計画」が決定していますし、今後10年、20年のうちには、ことによると、ムナグロやシギ・チドリはやってこなくなるかも知れません。
 残った、平林寺・掛地区、丸ケ崎・深作地区は、しばらくの間(10年位?)は、ムナグロ・シギ・チドリ類のオアシスとなるかと思いますが、掛・丸ケ崎地区は、市街地と接しており、いつ「開発」が起っても不思議ではない気がします。深作地区も、「アーバンみらい」という市街地と接していますが、ここは埼玉県が遊水池・緑地の確保のために、「人工の自然」、具体的には池と、葦原を意図的に残した所なので、これ以上の「開発」は恐らくないと思います。しかし、もともとの自然の広さからみると、ほんのひと握りの「作られた小さな公園」にすぎません。
 このように考えてくると、今後、ムナグロにとって、蓮田市と周辺が、居心地の良い休息地・採餌場となる保証はないのです。ムナグロが来ない環境には、他のシギやチドリも来なくなると考えられます。将来、そのようにならないように、心から願うものです。
 人間は、鳥や動物や虫や植物の天国を「空き地」とか「遊休地」とかと呼んで、価値のない土地と考えて来ました。しかし今日に至るまで、もう十分に「開発」や「発展」はなされてきていると考えて良いのではないでしょうか。税制面でも(特に、相続時に課される巨額の相続税のために、どれ程多くの林や、屋敷林が切り売りされてきたか、計り知れません)山林や林、屋敷林、農地、田、草地という土地は、税率を思い切って下げるか、無税にしてもらいたいと思います。特に屋敷林は大切な場所です。それだけでも、動植物には、大変な恩恵をもたらす筈です。水と緑がない所には、植物も育たず、動物も、鳥も、虫やヘビ・カエルのたぐいまで、生存出来ないのです。ムナグロやシギ・チドリのような「旅鳥」も、渡りの途中の貴重な休憩地・採餌場を失うことになります。
 このままでは、日本全国、どの町も同じような町、便利な街、開けた街となって、人間は心の安らぎを失う事になります。小さな公園を作って、「それが自然ですよ」と言うわけには行かないのです。
 逆に、21世紀以降は、これまでとは発想を逆にして、「開発」を中止し、「むだな土地」をふやしてゆくことこそ必要なのです。そのためには、場合により、「土地の私有制度」にも制限を設けることが必要です。これは大変むずかしいことですが、そこまでやらなければ、本来の自然はもどって来ないと思います。
 「やすらぎのある街」、「自然豊かな街」とは、宅地販売の時によくキャッチフレーズとして耳にする言葉です。しかし、その宅地開発自体が、「やすらぎ」と「豊かさ」を失わせる元凶にもなっている場合が多いのです。
 21世紀が始まって5年がたちました。この世紀が、人と自然が共存出来る社会となるように心から願うものです。ムナグロやシギ・チドリ類を観察していると、蓮田市と周辺の土地の環境に関心が及び、また地球の温暖化等の気候変動にまで、思いがゆくのです。将来にわたり、いつまでも、ムナグロが立ちより、シギ、チドリも安心してやってくる、そういう「まち」であって欲しいと願うものです。
 
終わりに

 この5年間、多くの方々のお世話になりました。その方々のおかげで、まがりなりにもつづけてこられました。フィールドでお会いして、種々情報や助言を頂いた方、電話でお話させていただいた方、更には、過去のレポートを読んで下さった方々、これらのご縁のあった全ての方々に、篤くお礼申し上げます。
ありがとうございました。
これにて、私の、 春のムナグロ・シギ・チドリ類観察記録は終了となります。       

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