***探鳥旅行記 エトロフの休日 ***

なごりを探しに
~埼玉大学野鳥研究会OBの道東探鳥旅行・風露荘再訪記 第5回~
文・写真:小林みどり
<風露荘で、会えた>

 さて最後に、この旅行の主目的でもあった風露荘について記しておきたい。今回は2泊お世話になった。夢ではあれだけ遠かった風露荘だったのに、いとも簡単に到着してしまった。建物に一歩踏み入ると、何か違和感を覚える。あれ、こんな感じだったかな? もっと広かったような気がするが…

 違和感は、リビング兼食堂に入った途端、消えた。オジロワシが、はばたいて出迎えてくれたのだ。初めて来たときも、この壁画に度肝を抜かれた。薮内正幸画伯の作品である。そして自然関係の本がびっしり並ぶ本棚。これだけ本があれば、いくらでも暇がつぶせる、といつも思っていた。しかし、これらの本を読んだためしがない。ここに来た以上、朝から晩まで鳥見、帰ってきたら夜中まで宴会だから。
 
左:オジロワシの壁画 上に並ぶのは奥様手編みのジャケット 右:壁一面の本棚
 今回も夕食兼宴会が始まる。鍋料理や鮭のステーキ(切り身が大きい)、ラム肉の料理などの他、必ず新鮮な魚貝の刺身が供される。刺身はここでは、やはり「ギョウジャニンンク」で食べたい。ワサビともショウガとも異なる独特な辛み。それだけでもお酒のつまみになる。ちなみにここ以外では、ギョウジャニンニクをあまり食べたことがない。いくらするのだろうかと、ネットで調べた。通信販売で300gが3000円。結構な値段だ。風露荘では、「そこらへんにドッサリ生えている」という。

 夕食のテーブルには奥様も同席され、あれやこれやと昔話が始まった。記憶力が抜群にいい奥様は、昔泊まったときのことを覚えていらして、その時の「宿帳」を引っ張り出してくる。宿帳といっても、住所氏名を書く業務用ではない。ここで過ごした感想やらセイシュンのほとばしる思いやらを、酔いに任せて書き連ねたノートである。いわば、若気の至りの“黒歴史”。

 昔は高田氏が必ず夕食の席にいて、泊り客と共に飲んで食べた。とにかく、みんなとワイワイ騒いで過ごすのが、お好きだった。ある時、寝室が寒いので暖かくしてほしい、とお願いしたことがあった。すると高田氏「寝室、寒いよ。暖房、切ってあるんだもん。だって、あったかくしておくと、みんなサッサと寝ちゃうんだもん」

 夕食から始まる長い宴会の話題は、鳥や動物など周辺の生きものの話にとどまらない。風露荘をとりまく人々の話だったり(誰と誰がアヤシイとか、そんなレベル)、荒唐無稽なホラ話だったり(高倍率の望遠鏡なら、納沙布岬から、ソ連兵が流氷の上に国境線を引いているのが見える、とか)。思い出してみると、いつも大笑いしていた。風露荘の経営だけでなく、野生生物の保護など深刻な問題にも取り組んでいたはずだが、夕食の席では、笑えない話は出たことがない。誰もが、お笑い番組でも見ているかのように,笑っていた。天性のエンターティナーでもあったのだ。

 こういう人だから、風露荘のリビングには、近所の人たちも夜な夜な集まってきた、ホラ話に大笑いし、高田氏お気に入りの「北の勝(まさる)」(名前が勝だから)という日本酒の一升瓶を開けて、夜遅くまで騒いだ。飲んでいる傍らで、研究者や学生がバンディングで捕獲した鳥に足環をつけていたこともあった。その作業をのぞき込んでいたら、「ちょっと触ってごらん」と一羽のハクセキレイを手に載せてくれた。「高田さん、何とかしてよ」と、怪我をしたアカエリカイツブリが盥に入れられて運び込まれたこともあった。その頭を撫でてみた。ベチャッとしているようで、そうでもない、何とも言えない不思議な感触だった。

 
風露荘の朝食の名物は、手作りジャムのあれこれ。素材は周辺の原野の恵み。これを乗せるパンも、手作り。
 
 野生の生きものと、彼らを愛する人間たちの濃密な空間が、そこにあった。高田勝という稀代のナチュラリストの夢であった「野生生物保護とその観察場」。それが風露荘という形で実現した姿をこの目で見て、何日かをそこで過ごせたことは、ナチュラリスト修行中の一人として、この上もない幸いだったのだ。


<エピローグ>
 この訪問後、現在に至るまで、風露荘の夢を見ていない。そこには、置き忘れてきてた大切な何かが、昔と変わらない姿で揺蕩っている。そこに行きさえすれば、昔日のなごりに、会うことができる。そのことを、無意識のうちに納得できたからかもしれない。

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