*** 鳥獣保護管理員の落書き帳 ***

鳥獣保護員・エトロフ小林の 『落書き帳』 第5回 信天翁(あほうどり)余話その2
ごきげんよう。エトロフです。

 クロアシアホウドリ、コアホウドリとアホウドリづいているので、「アホウドリ」という名前について、ちょっとひとこと。ここで登場するのは「クロアシ」とか「コ」という形容詞のつかない、いわゆる“ただアホウドリ”(標準和名 アホウドリ 学名 Phoebastoria albatrus ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属)です。

 
撮影:飯田敏子さん
(日本野鳥の会茨城)

 この名前の由来は、「人間に対する警戒心がゼロで、平気で近づいてくるから」。 頭悪いんじゃね?ということで、こんな不名誉な名前がつけられました。

 近づいてきたアホウドリに対して、人間は何をしたか? 「オマエ、アホちゃうか?」とツッコミを入れてツーショットで記念写真撮るぐらいだったら、まぁ、いいです。私もやるかもしれません(野生動物とは、適度な距離をとるのが基本ですが)。

人間は、何も知らずに寄ってきたアホウドリを次から次へと殴り殺したのです。仲間の災難を知って逃げようとしても、彼らはすぐには飛び立つことができず、次から次へと殺されていきました。

 大虐殺の舞台は、百数十年前の鳥島。目的は羽毛採取でした。アホウドリの羽毛は布団や枕の高級素材として高く売れたそうです。富国強兵・殖産興業の“美名”のもとに殺されたアホウドリは数百万羽にのぼったといいます。

 鳥柱になるほどいたアホウドリも大虐殺の結果、激減。ついに禁猟となった1933年には数十羽まで、その数を減らしてしまいました。しかも禁猟になる直前には「駆け込み」で、残り少ないアホウドリがさらに殺されたといいます。

人間って、なんて嫌な動物なんだろう・・・

しかし、この状態を救ったのも人間でした。
 
アホウドリ
さいたま市TAさん撮影
クロアシアホウドリ
さいたま市TAさん撮影
コアホウドリ
さいたま市TAさん撮影

 1949年、伊豆諸島から小笠原諸島を調査していたGHQ天然資源局野生生物課のオリバー・オースティンJrは10日間の航海中、ついに1羽のアホウドリも発見できず
“絶滅宣言”を発表。ところが1951年、鳥島測候所職員の山本正司は、島の巡視中に少数のアホウドリを発見。その後、測候所職員たちはボランティア的に調査と保護活動を続け、1962年、アホウドリは特別天然記念物に指定されます。保護と調査活動は後に山階鳥類研究所や長谷川博・東邦大名誉教授(現職)らに引き継がれました。彼らの長年にわたる活動が実を結び、アホウドリは徐々に増えています。今では、季節さえ選べば、伊豆大島周辺でも、その優雅な姿を何度も目にすることができるほどになりました。

 「アホウドリ」という不名誉な名前を「オキノタユウ」に変更しよう、という話があります。オキノタユウ…沖の大夫。大夫とは、いろいろな意味がありますが、ここではおそらく「トップクラスの芸者」のことでしょう。
 ところでアホウドリがオキノタユウに変わったら、コアホウ、クロアシも「コオキノタユウ」「クロアシオキノタユウ」になるのだろうか?「コオキノタユウ」…なんか発音しにくいな。「クロアシオキノタユウ」…なんか、めちゃカッコイイんですけど。「黒脚沖ノ大夫」と書くと、もう歌舞伎の登場人物って感じです。

 以下、エトロフ妄想劇場。つき合っていられない方はスルーしてください。でも最後の部分は必ず、読んでくださいね。

・・・絶世の美女・沖ノ大夫、衣装は白の打掛、黒灰色の帯。打掛に光を当てればオレンジや黄色に輝く(これ、アホウドリの羽の配色です)。しかしこれは世を忍ぶ仮の姿。その美貌で政財界の大物に接触し、巨悪を探る。決定的な証拠を掴んだところで変身!全身黒装束の義賊・黒脚沖ノ大夫の登場と相成りますれば、場内は大いに盛り上がり、どよめき、掛け声がかかる!「よっ!待ってました!」「かめり屋!(*)」

・・・などと八丈航路感あふれる妄想の世界で、いくらでも遊べる。いいなぁ、オキノタユウ・・・

 しかし!鳥獣を守りたいエトロフとしては、あえて「アホウドリ」の名前を残してほしい。いわゆる「負の遺産」的なものとして。過去から目をそらすべきではないと思うのです。

過ちを二度と繰り返さないために。一番愚かな動物は誰か、決して忘れないために。

参考:公益財団法人山階鳥類研究所HP「アホウドリ 復活への展望 鳥島とアホウドリの歴史」

*かめり屋:「かめりあ丸」は、2014年まで八丈・三宅航路に就航していた東海汽船の貨客船。現在は「橘丸」です(写真)。「橘屋」は、歌舞伎の屋号として実在するので、ここは「かめり屋」にしました。
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